美しき日常 2

 

 初めて一人でハーレムを訪れたわたしは、胸の上で手を握り、少し緊張しながら二人の後を追いました。
街の雰囲気が、道を一本逸れただけだと言うのに、さっきまでとは全然違っています。
緊張のあまり気が遠くなりかけたりもしましたが、ここで倒れては昴さんたちのその後が見守れません。
がんばるのよ! ダイアナ!
気合を入れなおし、距離を離されすぎないように必死でついていきます。
お二人は、沢山らくがきのある通りや、金網の向こうにバスケットゴールがある広場の横を通り、
やがて一軒のお店に入ってしまいました。
サジータさんの事務所や教会からもそれほど遠くありません。

 「ジャズバー……?」
マーキュリーと書かれたクラシカルな看板。
お店の中からは、かすかに音楽が聞こえてきます。
大河さんや昴さんが、ジャズバーに入られたことがなんとなく意外でした。
お二人とも、もっと静かな場所か、もしくは明るいお店がお好きなのかと思っていました。

 お店の外観を眺めていたわたしですが、ふと我に返って今の状況に気付きました。
知らない場所。知らないお店の前で、一人きり……。
周りを見れば、なんとなく荒れた街並みのあちこちは、らくがきで汚されていたり、塀が壊れていたり。
まばらに道を行くみなさんは、わたしをじっと観察しているようにも思えます。
あそこの角の数人の若い方々などは、こちらを見ながらなにやらヒソヒソと話し合っていらっしゃるし。
ど、どうしましょう……。
けれど、ひとりで来た道を戻る勇気もなく、わたしはどきどきしながらマーキュリーの扉をあけました。

 入ってすぐに、大河さんと昴さんに、わたしの存在がばれてしまうと思っていたのですが、
偶然にもそれはさけられたようでした。
なぜなら、お二人は一段高くなったステージで、一緒に演奏をなさっていたからです。
「まあ……」
昴さんはピアノを。
大河さんはサックスを。
二人で視線を交わしながら、のびやかにジャズを演奏していらっしゃいます。
わたしは立ち止まってお店の中を見渡しました。
壁のあちこちに貼られた、コンサートや舞台のポスター。ああ、あれはマダムバタフライのポスターです。
ほんのりと漂う古い木の匂い。タバコの香り……。
まるでお店の中の物すべてに音楽が沁み込んでいる様な、そんな雰囲気です。

 「おじょうさん、はじめてかい?」
「きゃっ」
突然声をかけられて驚いてしまいましたが、振り向くと、黒人男性が満面の笑みでカウンターに座っていらっしゃいました。
「は、はい」
「まあ座んなさい。何を飲む」
「あの、では、野菜ジュースを」
わたしが答えると、その方はちょっと驚いた顔をしましたが、それでもマスターに向けて、野菜ジュースを頼んでくださいました。
その間も、わたしはステージに釘付けです。

 ジャズは今まで何度も聞いたことがありましたけれど、こんな演奏は初めて聞きました。
ジャズ特有のオールドな雰囲気が薄く、もっと、希望と若さに溢れ、優しい音楽のように感じられて。
「いいだろう、あいつら」
「はい」
黒人の方は、なんだか自慢げにしていらっしゃいます。
きっと、お二人のお知り合いなのでしょう。
最初見たときは、いかついお顔がちょっと怖かったのですが、今は素敵な笑顔が優しそうに見えます。
「俺はドッチモ。あいつらは日本人だが、なかなか良いソウルを持っている」
「わたしは、ダイアナ・カプリスといいます。本当に素敵な演奏ですね」
心からそう伝え、また演奏に聞き入ってしまいます。
ドッチモさんは、演奏に夢中になっているわたしを思いやってか、それ以上は話かけてきませんでした。
わたしと一緒になって、お二人の演奏を聞いていたようにも思えます。

 入ってきたときの曲に続いて、もう一曲が終わったとき、二人は観客に向けて丁寧に礼をされました。
お店のお客さん達も、心からの敬意を混め、丁寧な拍手を贈っています。
ドッチモさんも、わたしも、もちろん拍手を贈りました。
昴さんはステージを降り、こちらにまっすぐにむかっていらっしゃいます。
どうやら、昴さんにはやはりお店に入った瞬間から、わたしの事はばれてしまっていたようです。

 

 

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とても似合わないなあ!なにせ白衣だもんなあ!

 

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