叔父の訪問 10

 

 僕が駆け込んだ時、大河は屋上で暢気にコーヒーを飲んでいた。
仕事のあとの休憩をしていたのだろう。
他のメンバーもみんな一緒になって談笑している。

 「大河!!」
「あ、昴さん」
のほほんと返事をするその顔を見て、僕は一気に頭に血が上った。
僕がこんなに気を揉んで、ようやく気持ちに踏ん切りを付けたというのにこの男は!
「帝都に行かないって、どういう事だ!」
「え?」
大河は驚いた顔をしていたし、周りにいたみんなもそれは同様だ。
でもそんな事にかまっていられない。

 「大神に誘われただろう、戻りたかったんじゃないのか、帝都に!」
「知ってたんですか?!」
大河は持っていたカップを置いて立ち上がる。
「昴さんは、ぼくに帝都に戻って欲しかったんですか?」
「そんなわけないだろう! そんなわけないけど……でも、君は……」
戻りたがっていたじゃないか。そう言いたかった。
「確かにぼく、帝国華撃団にあこがれていました。ずっとあそこに入ることを目標にしてたし、一郎叔父と肩を並べて戦える日を夢見ていました……」
だったらやはり、帝都に戻るべきじゃないか。
僕が言おうとしたその言葉を、大河は微笑んで遮った。
「でも、それは紐育に来る前の話です」
僕の手を握る、しっかりとした手の平。

 「紐育に来て、みんなと出会って、いい事も駄目だった事もいっぱいあったけど、ぼく……」
大河は小さい子供にするように、しゃがみこんで僕の顔を覗いた。
「ぼく、まだまだここで沢山勉強したい。紐育を守りたいんです。昴さんやみんなと。帝都には一郎叔父がいてくれるじゃないですか」
慰めるように、静かな口調。
「帰りたくないのか……?」
生まれ育った国だ、君の家族が待つ国じゃないのか。
「帰りたくないって言ったら嘘になります。でもそれ以上に、ここに残りたいんです。……駄目ですか?」
僕は頭をふった。
駄目なわけない。
けれど信じられなかった。

 君をこの紐育に留め置ける何かがあると思えなかったから。
日本には、君の大事にしているものが沢山あった。
もちろん紐育にだってあっただろうけれど、到底それは、君の祖国に敵うものではないと思っていた。
だから、大神に誘われたら喜んで国に帰ってしまうだろうと思い込んでいた。
最初は絶対に受け入れられなかったその思いを、一週間かけてなんとか消化し、
実際に彼が出て行くときには、内心はともかく、少なくとも大河に見える範囲では祝福してやろうと、そう、覚悟を決めたばかりだったのに。

 くそ、胸が苦しい。
息が詰まって涙が零れてしまいそうだった。
みんなが見ている前でそんな真似はできない。
そう考えていたら、大河が僕の腰に腕を回す。
サジータが、短く口笛を吹いたのが聞こえた。
「ぼく、どこにも行きませんから」
「大河……」

 僕を抱きしめたまま、大河は小さな声で、耳元にポソリと囁いた。
「昴さんの傍にいたいんです」
僕はくやしかった。
彼の肩に顔を埋める。
こんな場所で、泣くなんて。

 

 大神は来た時と同様に、一人で帝都に戻る事になった。
彼は乗船する前に、僕の手を強く握る。
「新次郎を頼むよ」
大河よりも大きくて硬い手。
切れ長の瞳、
つんつんとした髪。
日本人にしては破格の体系。
どこからどう見ても大河に似ていない。
けれども僕は心から言った。
「あなたは大河にそっくりだ」
「ははは、そう言ってくれるのは君と姉さんだけだな」
ほがらかに笑うその表情が、なによりも、大河に似ていた。

 

 デッキで手を振る叔父に向かって、大河はぶんぶんと腕を振り回す。
徐々に船影が遠ざかって行く。
「……本当に、よかったのかい?」
「はい! 無理に連れ戻されても、ぼく泳いでだって戻ってきますから!」
「馬鹿だな、無茶をするな。その時は……」
「その時は?」
僕は振り返った大河の目を見つめる。
この漆黒の宝石を、僕は……。
「その時は僕が迎えに行くから。それが敵わない時は、いつまでだって待っている」

 船影はすでに遠く、水平線にわずかに残るのみ。
僕と大河は隣あって、その影が完全に消え去るまで見送っていた。

 

叔父さんは手ぶらで帰還しました。
次回はちびじろーになる予定です。

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昴さんは苦労損。

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