いつかこの街で 4

 

 前を歩く昴を大河は必死で追いかけた。
昴は走っているわけではないのに、なかなか追いつけない。
「待って……待って下さい昴さん」
呼び止めるとピタリと止まる。

 「昴さん足が速すぎですよ」
大河はようやく追いつくことが出来、昴の隣に立って思わずぼやいてしまう。
「ごめん、ちょっとイライラしているんだ」
「さっきの事でですか?」
さっきというのは、さくらが自分達の逢引の様子をみんなに話してしまったらしい事だ。
昴は随分怒っているように見えた。
あんな風にピリピリしている昴を見るのは大河も久しぶりだった。
「それもあるけれど……」
「他にも何かあるんですか?」
大河は心配になって来る。
確かに大河も、日本に到着してからの昴が、いつもとは少し様子が違うように感じていた。
なんとなくとしかわからないけれど、紐育にいた頃よりも行動が大雑把だ。

 「うん……。ねえ、僕の部屋で話そうか」
昴はあたりを不安げに見渡す。
花組のメンバーたちはみんな舞台にいるとわかっていたが、それでも落ち着かない。
彼女達は例外なく親切だったけれど、今はそれが余計に苦痛だった。
知らない人間に周りを囲まれ、あれこれと口を出されたくない。
二人で大河が使っていた部屋へと入り、昴は椅子に、大河はベッドに腰掛ける。

 「それで、どうしてイライラしているんですか?」
聞かれても昴はすぐには答えなかった。
しばらくの間目を伏せて、仕方ないと言うように話し出す。
「……僕は日本を出たとき、もう二度とこの国には戻らないだろうと思っていたんだ」
「ええ?!」
意外な言葉に大河は驚いてベッドの上で飛び上がった。
「そんな、だって……だって、昴さんの……ぼくたちの国なのに」
「いい思い出なんか何もない。日本には来たけれど……。実家にはこのまま一生帰らない」
昴はそっけなく言って視線を反らす。
彼が信じられないと言う顔で見つめていたから。
「君が日本に行くと言うから思い切って付いてきたけれど、やはり大人しく待っていた方がよかったかもな」

 俯く昴に大河はベッドを降りて近づいた。
椅子に座る昴の正面に、立ち膝をついてしゃがむ。
「待ってた方が良かったなんて、そんな事ないです。ぼくは昴さんが一緒に来てくれるって決まった時すごく頼もしかったし、今もとっても嬉しいですよ」
しっかりと昴の瞳を見つめ、その膝に両手を乗せ、大河は素直な笑顔を向けた。
「大河……」
「昴さんがどんな風に日本で過ごしてきたのかぼくは知らないですけど、これからいい思い出を作ればいいじゃないですか」
当たり前のように言う。

 「……それでおしまい? 何も聞かないのかい?」
「聞かないって、何をですか?」
首をかしげる大河を見て、昴は苦笑した。
「日本にいい思い出なんかない、二度と帰らないつもりだった。なんて言ったら、大抵の人間は何があったのか知りたがる」
「昴さんは話したいんですか?」
「いや……」
「ならいいんです。ぼくは今の昴さんを知っていますから、それで十分です」
にっこりと微笑んだ大河は、昴の手を両手で包み込むようにしっかりと握った。
「昴さんが話したくなったら、いつでも聞きます。だから悩んだり苦しんだりしないで下さい」
言葉と共に、彼のやさしい想いが手の平から伝わってきた。
感情の一部が霊力と共に沁み込んで来る。
おそらく大河は無意識のうちにそうしているのだろうが、あたたかな波が苛立つ昴の心を落ち着けて行った。

 

 京都の実家でどんな風に自分が生きてきたか、昴は一生誰にも語らないでいようと決めていた。
実家が知れれば年齢も性別もいずれ知れてしまうし、そもそも生家の事は誰にも知られたくなかった。
日本にいればどこでどんな風に暮らしていても、必ず実家の影が見え隠れしている。
だから遠く離れた欧州へ行き、その後は紐育への派遣依頼も問題なく受け入れた。
日本でさえなければいい。

 欧州時代と違って、紐育の仲間達はとても絆が強かった。
みんなそれぞれになんとなくお互いの過去を知っていたから、いつか自分も過去の事を聞かれる日が来るかもしれないと思っていたが、
そんな事は一切おこらず杞憂に終わった。
男か女か、軽く何度か聞かれた程度。
それもごく最初のうちだけ。
いつしか彼女らはそういったすべての事柄をまったく気にしなくなっていた。
大河を含めた星組の面々に囲まれて、日本で味わってきた様々な辛い思い出が、
いつしか思い出しても苦痛に感じない穏やかな物に変わっていた。

 だからこそ大河と一緒に日本に来ようと考えたわけだが、いざ到着してしまうとなぜか落ち着かなかった。
大河と二人きりでいるときだけ、紐育で過ごしていた頃のように心が静まる。
喉元に支えていた棘が、彼のやさしさのおかげで溶け去って行く様な気がする。

 

 「……君は、本当に僕の序破急を狂わせる」
「いい意味で、でしょ?」
少し得意げに言われて昴は苦笑するしかない。
本当に彼の言う通りだったから。

 

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昴さんは特殊な歩き方をして、すごい勢いで遠ざかって行くんじゃないかなあ。

 

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