僕の経過報告 4

 

 しばらく抱きしめあっていた僕達だったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
室内ならともかく、ここは公共の公園だ。
紐育市民はそのような場所でも割とおかまいなしに愛し合うが、僕はともかく大河は恥ずかしがる。
手を取って立たせてやり、放り出されたままの木刀を拾い上げ、彼に手渡す。
「いつからここにいたんだい?」
「えっと……。家に帰ってからすぐに着替えて来たんですけど……」
なら3時間は経っている。
そんなに長い間、あの気迫で素振りをしていたのであれば、力尽きてしまうのも頷けるというものだ。
普段だったら呆れてしまうところだけれど、今回の原因は僕にあるから心が痛い。
「時間があるなら僕の部屋に来てもらえないだろうか」
「昴さんのホテルに?」
僕は黙って頷いた。
満身創痍の大河をゆっくり休ませてから、落ち着いて話がしたかった。

 セントラルパークと僕のホテルはすぐ近くだったから、ふらふらの大河でも問題なく部屋まで到着できた。
ソファに座らせて、冷えたレモネードを与えると、大河はそれを一口で飲み干してしまった。
あんまり冷たいものを一気に飲むと喉に悪いのだが……。
水分が不足していてそんな事を言っている場合ではないのだろうし、今回は仕方がない。
「ぷはー! ああー……おいしいなあ……。生き返る……」
しみじみと言うので笑ってしまいそうになる。
まるでビールを飲む中年の男性のような感想だ。
水分だけじゃなく、糖分も不足していたのだろう。
僕は自分用に作っていたもう一杯を手渡してやり、彼の隣に腰掛けた。

 「大河、まずはここ数日の僕の態度を謝罪する」
そう言うと、大河は急に真面目な顔になって僕の顔をじっと見た。
彼の目をまっすぐに見返すのは、いつも少しだけ緊張する。
それだけ大河の目は濁りがなくて美しい。
純粋な視線に何もかも見透かされてしまうような気がするから。
こんな場合ならなおさらだ。
「君にはなんの非もないんだ。わざと遠避けるような事をして悪かった……」
本当に、申し訳なかった。
こうやって謝る事も僕の自己満足でしかないかもしれないけれど、それでもちゃんと謝罪しておきたい。
叱責されても仕方がないと思っていた。
けれども返って来たのは意外な言葉だった。
「何か事情があったんでしょう? 昴さんは、意味もなくそんな事をする人じゃないです」
そう言って頭を下げる。
「ぼくの方こそ、ちゃんと気が付いてあげられなくてごめんなさい」

 なぜ大河が謝る必要があるのだろうか。
彼にはまったく非がないと言っているのに。
気が付いてあげられなくて、などと言うが、それだって大河には何の責任もない。
彼を遠ざけていた理由についても話さないわけにはいかないだろう。
緊張で心臓が不整脈のように、一度、大きく波打った。
舞台に立つときのような、昂揚する緊張感とはまったく違う。
体の内側をキリキリと締め付けられるような、冷たい感覚だ。

 「……その理由だけど……。明日からの舞台のシナリオ、君ももう読んだのだろう?」
「え? はい。一応」
彼は真面目だから、自分が出演しない舞台でも、必ずすべての台本に目を通す。
けれどもまさか、僕がその主人公の心情を理解する為に、
役になりきって邪険な態度をとっているとは夢にも思わなかっただろう。
「僕が演じる少女の心を知りたかったんだ」
「昴さんが演じる……? あっ!」
教えてやると、大河はすぐに気が付いたようだった。

 「そっか、そういえば、あの女の子は好きな人に意地悪をするんだった」
意地悪、などというかわいい表現でいいのかはわからないけれど、彼女は愛する人を遠ざけ続ける。
「昴さんはあの子を演じる為に……?」
「そうだ。だから、君は何も悪くない。巻き込んでしまって本当に申し訳なかった」
「でも、演じるだけなら同じ事をしなくても良かったんじゃないですか?」
大河はそう問いかけてきた。
攻める口調ではまったくなかったが、それでも辛い。
ただセリフや表情を演じるだけならば、大河の言う通り、いつものようにやれば良い。
でも、僕は……。
「今の僕は君との恋愛で幸福すぎるから。悲恋を続ける彼女の苦しみは理解できない。言葉だけの演技は演技じゃない」
だから君を巻き込んだ。

 僕が俯くと、大河はやさしく腕を伸ばして僕を抱きしめてくれた。
そのまま何度も頭を撫でてくれる。
結構長い時間そうやって彼は僕を抱いていた。
僕も久しぶりの温かさが嬉しくて、つい甘えてしまう。
じっとしているだけですべてが許されてしまったような。そんな錯覚に陥りそうだ。

 大河が言葉を発したのは大分時間が経ってからだ。
「昴さんが、普段ぼくといる事を幸せだって感じてくれているってわかったから、ぼく、安心しました」
顔をあげると、大河がニコニコと笑っているのが見えた。
本当に嬉しそうなので驚いてしまう。
「怒らないのかい……?」
恐る恐る聞くと、逆に大河の方が驚いた顔をした。
「何をですか?」
「……」
何について怒るのかすらわからないのか。
「僕が、君に理不尽に邪険な態度を取った事を、だよ」
「え? でも、本気じゃなかったんですよね」
それはそうだけれども、本気じゃなくても実際に行動には移していたのだから、怒って当然だ。

 「ぼく、今度の舞台もすっごく楽しみだったんです。昴さんの演技はきっと素晴らしいんだろうなって……」
大河はうっとりと目を瞑る。
「役者さんは敵対する役目の人と、舞台以外でもその演目が終わるまで、無視したり顔も合わせない人もいるって聞きました」
確かにそうする人もいる。実際、日常生活まで徹底すると演技に真実味が増すから。
「舞台は明日なのに、今日ぼくに話しちゃって良かったんですか? 昴さん」
逆に心配そうに言われて、僕は拍子抜けしてしまった。
「いいんだよ。もう十分に彼女の苦しみは理解した」
手を伸ばして、大河の頬に触れる。
「彼女の生き方は僕には出来ない。君がいるから……」

 彼を無視して生きていくなど到底不可能だ。
この数日で徹底的に身に沁みた。
だから、久しぶりに唇を合わせた時、喜びで心がぞくぞくと震えた。
そのまま大河の胸に頭を預ける。
「すまなかった大河。あとでこの数日間の償いを必ずするから……」
そう告げると、大河は少し緊張した面持ちでこう言った。
「あの、それじゃ、今してもらってもいいですか? えっと、その、償いっていうの……」
「かまわないけれど、何をして欲しいんだい?」
僕の答えを聞いて、彼の喉がコクリと動く。
「もう一回、キスして欲しいです」
僕が言いたかった償いとは、そんな簡単な物ではなかったのだけれど。
答えに躊躇していると、ゆっくりと大河の顔が近づいて来る。
そして僕達はもう一度、唇を重ね合わせた。

 

数年前に見たハリーポッターのインタビューで、主役のダニエル君などは、敵役の方々と一切口も利かず、可能な限り顔も合わさないと言っていました。
まだ小さいのにすごいなーと思っていました。
撮影期間もかなり長いのに。

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昴さんも大河もようやく安心。

 

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