僕の経過報告 3

 

 リムジンタクシーで帰宅する途中、僕はぼんやりと外の風景を見ていた。
大河……、きっと、今頃しょげかえっているに違いない。
明日舞台が終わったら、すべてを話して謝罪するつもりだったが、彼が許してくれるかどうかはわからない。

 公演当日は大河の誕生日だったけれど、僕は彼に贈り物を買う事すらしていなかった。
恋人の為に贈り物を選ぶなど、僕の演じる少女は決してしないだろう。
本当は愛しているはずの恋人を、不本意ながら遠ざける為に必死なのだから。
それとも彼女の愛する男性が、劇中でもしも誕生日を迎えたら、彼女はやはり悩むだろうか。
弾んだ気分でプレゼントを選び、購入してから後悔する。
渡せないままに、彼女は処刑されるだろう。

 僕は溜息をついた。
悲劇の主人公を演じる時、役に集中すれば集中するほど、概して自分の気持ちも落ち込みがちだが、
今回は相手のある事なのでなおさらそれが顕著だ。
流れていく景色を眺めながら早く明日になれと念じる。
同時に、こんな事では駄目だと忌々しくも思う。
やはり真実彼女の気持ちを知る事は、僕には不可能だったと言う事だから。
舞台は舞台。その場限りの幻だ。
僕の中の彼女の気持ちも、所詮は偽り。
終わりのない戦いをしている少女とは違い、僕には終わりが見えていた。
だからせめて、その幻である舞台が終わるまでは、この苦しみを自分の中に閉じ込めておかないと……。

 

 自宅ホテルが近づき、セントラルパークの前をタクシーが通過した時、僕は目を疑った。
「大河!」
思わず口に出してしまう。
「止めてくれ!」
セントラルパークに植えられた、森のように茂る木々の隙間から、確かに彼の姿が見えたような気がした。
急停止したタクシーから飛び降りて、さっき彼の影が見えた場所へと駆け戻る。

 僕の見間違いじゃなかった。
幾重にも重なった木々の向こうに、彼はいた。
あんな遠く、しかも沢山の障害物のある先にいる大河に気が付くなんて、僕も大概どうかしている。
彼に気付かれないよう、あまり近寄らずにそっと様子を伺った。

 大河はいつものモギリ服ではなく、袴を着て、一心不乱に木刀を振っていた。
短く吐く規則正しい呼吸の音がここまで聞こえてくる。
彼が木刀をまっすぐに構え、上段から振り下ろすと、ザッと空気が動く気がした。
街灯に照らされて光る汗が飛び散り、輝いている。
「大河……」
闇の中、剣を振る彼はとても美しかった。
踏み込む足も、剣を振る速度も、一切乱れる事はない。
機械のように正確に、大河は同じ動作を気迫をこめて繰り返していた。
普段は早朝にしか行わない稽古を、こんな時間にやっているという事は、昼間乱れた精神の安定を図っているのだろう。
つまり、僕のせいだ。

 僕は木の幹に体を預け、その場に座り込んだ。
せめて、ここから君を見守ろう。
君が納得の行くまで剣を振り、家に帰ると決めるその時まで。
声をかけることは出来ないけれど、これぐらいは許されるはずだ。
きっと、僕が演じるあの少女も、愛する人に気付かれないようにこうやって相手のことを想っていた筈だ。
彼の呼吸の音。
切られた空気の動く風。
すべてが愛しく思える。
それらを感じながら、僕は目を閉じた。

 

 

 大河が素振りを終えたのはそれから一時間も経った頃だった。
いつからここにいるのかは知らないが、かなり満身創痍に見える。
あれだけ気迫を込めて素振りをすれば当然だ。
並みの人間なら数度繰り返しただけでへばってしまう所だ。
大河は肩で息をしながら座り込んだかと思ったら、そのまま地面につっぷしてしまった。
思わず駆け寄りそうになって留まる。
ほんの数瞬、僕は躊躇した。
本当に倒れたのだったら今すぐに助けてやらないと。
けれども彼が無事だと言う事はすぐにわかった。

 「昴さん……」
そう呟いたからだ。
「ごめんなさい……」
心臓が止まるかと思った。
大河は身を起こし、顔を埋めるようにして膝を抱え座った。
その姿勢がまるで子供のように頼りない。
さっきまでの雄々しい人物と同一の人間とは思えないほどに。
そんな姿を見せないでくれ大河……。
僕の、大河……。
今彼が辛い想いをしているのは、すべて僕の責任だ。
それなのに大河は、自分が何か間違いを犯したせいで僕が冷たい態度を取っているのだと思い込んでいる。
予想していたけれど、実際に彼が苦しんでいる姿を見て、僕は呼吸が出来なくなった。

 

 気が付くと、僕は彼の正面に立っていた。
何かを考えたりする間もなかった。
心も体も、躊躇なくそうする事を望んだ。
「大河……」
「昴さん!?」
慌てて目元を擦ったところを見ると、泣いていたのだろう。
僕はまた君を泣かせてしまった……。

 立ち上がろうとする大河に、覆いかぶさるようにして抱きしめる。
「す、昴さん?」
「許してくれ大河。君は何も悪くないんだ」
もういい。
もう、十分だ。

 苦しむ彼女の気持ちは十分すぎるほどに理解した。
これ以上はもう必要ない。
舞台で演じるその時まで、彼女と同じ苦しみを引き摺ったままでいようと思っていたが、
大河ではなく、僕がもう限界だった。
こんな状態ではまともに舞台に立てない。

 久しぶりに大河の温もりに触れて、僕は心が満たされていくのを感じていた。
あんなにも空虚だった僕の魂が、たちまちのうちに癒される。
大河は何も聞かず、何も言わず、黙ったまま僕の腕を抱きしめ返してくれた。
彼に本当の事を話さないといけない。

 

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倒れたおかげで良い事があった。

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