僕の経過報告 2

 

 僕は何をやっているんだ……。
大河が真剣な顔で劇場に入ってきたかと思ったら、
思い詰めた表情のまま健気な事を言うものだから、つい我慢しきれずに返事をしてしまった。
そのおかげでこの幸福感……。

 あともうちょっとの辛抱だったのに、これでかなりの部分が台無しだった。
けれども、振り返って仲間達を見ると、みんな満足そうな顔で僕をみていた。
特にサジータは、してやったりの表情だ。
「……何が言いたいサジータ」
くやしまぎれに睨み返す。
「いいや〜」
けれどもサジータは平気な顔だ。
まったく……。
彼女達は僕が大河を遠ざけている理由を知っているから、うっかり僕が彼と会話をした事が嬉しいんだ。
僕だって嬉しいけれど、こんな事じゃだめだ。
うっかり返答してしまったという事は、それだけ目的が果たせていないという事実に他ならない。
まだまだ完成していないんだ。

 

 長い通し稽古を終えて、僕が迎えに来た車に乗り込もうとすると、ジェミニが向こうから走ってくるのが見えた。
「昴さーん!!」
走りながら叫んだりしている。
「少し待っていてくれ」
僕は運転手に声をかけてから振り返った。
「どうしたジェミニ」
「は、はぁ、はぁ……、ど、どうしても伝えたい事が……」
彼女がこんな風に僕を追いかけてくるなんて珍しい。
いつもジェミニは僕に対して控えめだった。
他の誰かが相手だったら引かないような場面でも、僕の言葉だとしぶしぶながら頷く事もある。
けれども、一歩も引かない場面ももちろん想像出来た。
大河のことだろう。
彼女と大河は特別に仲が良い。
時に僕が嫉妬するほどに。
それだけ気が合うのだろう。いわゆる親友同士なんだ。
「あの、新次郎の事なんですけど……」
ほらね。

 「新次郎、ずっとしょんぼりしてました。昴さんが本気で舞台に取り組んでるって知ってるけど、でも……」
「ジェミニ、今度の舞台は、星組にとってとても重要な物なんだ。生半可な気持ちでは成功しない」
「でも……!」
「僕達はメンバーが揃って日が浅いけれど、もう温かく見守ってもらえる時期は過ぎた。そろそろ客達も実力を見極め始める」
そう。だからこそ。
「でも、役作りの為に新次郎を遠ざけるなんて……!!」

 

 そう……。今度の舞台で、僕は主役を演じる事になった。
その役作りの為に、僕は彼を遠ざけている。

 身分違いの恋に苦悩する下町の少女。
彼女は自分に好意を寄せてくれる誠実な男性を愛していたが、彼の為にわざとそっけない態度を取り続ける。
なぜなら彼は王族の人間だったからだ。決して結ばれる事などないと、彼女は知っていた。
だから愛しい想いを隠しながら、彼に冷たくあり続ける。
王族の男性は、偶然街で出合った少女を愛するあまり、足しげく下町を訪問する。
その度に、彼女は会いたくない、二度とこないでと相手を突き放す。
ひどい時には贈り物を床にたたきつけ、意志の力を総動員して愛しい人を睨んだ。
男はその度に、悲しそうな表情で微笑む。
またきます。そう言って。

 

 「僕だって最初はこの役を断ったんだ」
今の僕には彼女の気持ちを再現する事はできない。
けれどサニーが、だからこそ昴がやるべきだとそう言った。
星組で特定の恋人がいるのは、今現在僕だけしかいない。
本当は愛している恋人を、自分の意思に反して遠ざける気持ちを理解できるのは、僕だけだと。

 「一旦引き受けたからには、最高の演技をしてみせる」
「じゃあせめて新次郎にも話してあげれば……」
ジェミニは悲しげな表情でそう呟いた。
「そんな事をしたら彼への罪悪感がなくなってしまう。僕が理解しなければいけないのは、彼を遠ざけ、傷つけなければならない苦しみなのだから」
そうだ! こんなにも苦しい。
こんな風に理不尽に彼を傷つける行為。
彼と語り合えない日々。
一緒に歩く事も、笑う事も、触れ合う事も……!
「……明日一日で終わる」
公演は一度きり。それが唯一の救いだ。

 

 僕が演じる少女は、最後に王族の男性に無礼を働いた罪で処刑されてしまう。
男性は止めようと尽力するが、不敬の罪は罪。法律を曲げる事はかなわず、処刑は実行される。
結末は悲劇だった。

 けれども僕達は違う。
だからあと一日耐えれば大河にすべてを話してもいいんだ。
許してもらえなくとも精一杯の謝罪をしよう。
そうしたら、前のように、いや、前よりも一層、一緒にいられる。
そのために僕は沢山の事業を手放したのだから。

 「ジェミニ、僕達の事を心配してくれてありがとう」
「いいえ、こんな事になるなら、やっぱりボクがやればよかったんだ……」
配役の際、最終的に主役の少女は僕かジェミニかのどちらかに絞られていた。
今回の役は感情が複雑でセリフも多く、かなり難しい役柄だった上に、シアターの今後を担う重要なものだった為、彼女は役を断った。
その時に僕も断ったのだが、さっきも言ったように、まんまとサニーに説得されたと言うわけだ。
「違うよジェミニ。おかげで僕は彼への想いを再認識できた」

 そう。改めて良くわかった。
僕には大河が必要だ。
いつでも、常に。
彼がいないと何もかもが真っ暗になってしまって日々が空虚な物になる。
彼に出会う前の日々は、こんなにも無機質だっただろうか。
早くすべてを終わらせて、元の日常に返りたかった。

 

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すごく我慢しているんです。

 

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