いつかこの街で 10

 

 大河は隣を歩く昴をチラリと見やった。
さりげなくそうしたつもりなのに、気配を察してか昴はすぐに視線を上げる。
目が合うと、なんとなく照れくさくて笑いあう。
繋いでいる手がいつもよりもほんのり暖かい。

 「ぼく、浅草にはあんまり詳しくないんですけど、浅草寺に行ってみますか?」
「そうだね。紐育のみんなに土産も買いたいし、丁度良いんじゃないかな」
下駄の音がカラコロと鳴ると、大河は嬉しくなってくる。

 日本に帰ってきてはいたけれど、あくまでも仕事という名目だったから、
こんな風に昴と一緒にゆっくりできるとは思っていなかった。
先輩ばかりの帝劇の中で緊張していたし、紐育の隊長として恥ずかしくないように行動しなければと気を張り、
一日のほとんどを帝劇の中ですごして、忙しく走り回っていた。
けれども、着物に着替えて街を歩いていると、急にここが日本なのだという実感が沸いて来る。
あまり馴染みのある場所ではないはずなのに、懐かしくて胸がジンと痺れた。
素朴な街並みや、ゆっくりしたペースで歩く人々。
洗練された紐育とは違う風情が大河にはうれしかった。

 すぐ隣を歩いている昴も、いつもとはまったく別人のように見える。
普段は隙のないスーツを着こなしているけれど、今日は完全に女性にしか見えない。
髪を結い上げているせいで、細いうなじが顕になっていて、しなやかな曲線に目を奪われる。

 「こら、あまりジロジロ見るな」
「はっ、はい! ごめんなさい!」
叱られて急いで視線を反らしたが、大河は幸せそうな笑顔を崩さない。
叱った昴の方も、少しだけ頬を染めて静かに笑っている。

 冬の最中の浅草寺はそれほど混雑していなかったが、
それでも少なからぬ数の観光客が訪れていた。
「せっかくだから、お賽銭を入れていきましょうよ」
「ふふっ、かまわないよ。……ほら、小銭」
昴は巾着の中から硬貨を出して、大河にもひとつ渡してやる。
「ええ?! いいですよ、自分で出しますから」
あわてて辞退する大河に、昴はなおも手を差し出した。
「こんな小銭で恩を着せたりしないよ、ほら」
苦笑しながらそう言うと、大河は照れくさそうに小銭を受け取る。
「なんだかお小遣いを貰った気分です」
「そうかい? なんだったらそこの飴細工屋で飴を買ってあげてもいいんだぞ」
「本当ですか?!」
からかうつもりで言ったのに、大河は大喜びだった。
「それじゃあ、帰りに買って帰ろう」

 二人は並んで賽銭箱に硬貨を放った。
一緒に縄を掴んでガラガラと勢い良く鐘を鳴らすと、大河は真剣に目を瞑る。
昴は少しの間その様子を見ていたが、彼を倣って目を閉じた。
大河が今、何を願っているのだろうかと考える。
大体の予想はつくのだけれど。
きっと、みんなが平和に暮らせますように、とか、そんな事だ。

 昴が顔をあげると、丁度大河も祈りを終えた所だった。
「何を願ったんだい?」
「沢山お願いしてしまいました。ええと……」
教えてもらえないかと思っていたのだが、大河はこだわりなく自分の願いを話してくれた。
それはすべて昴の予想していた範囲内の物だった。
すなわち、家族や仲間の平和と健康を願う物。
「……最後の一個は秘密です」
「おや、どうして?」
聞き返すと、大河は赤くなって視線を反らす。
「それなら先に昴さんが何をお願いしたのか教えてくださいよ」
「もちろん秘密だ」

 昴はさっき、信じてもいない神に、心から願った。
どうか、大河の願いを適えて欲しいと。

 彼がそうなりたい、そうなって欲しいと願っている夢を、かなえてやって欲しかった。
それはきっと、昴にはかなえられない夢であるだろうから。

 「じゃあ、ぼくもやっぱり秘密です」
「仕方がないな……」
昴はこだわる事無くそう答える。
彼の中の大事な領域に踏み込むつもりはない。

 帰りに二人でみやげ物を売っている店へと入った。
紐育の面々には、それぞれに似合うかんざしを慎重に選んで購入した。
みんな髪が長いから、きっと結い上げれば美しく映えるだろう。
もっとも、その時は着る物も工夫しなければならないだろうけれど。
帝都のみんなにも、今日までのお礼に茶菓子を買った。
かわいらしい型押しをされた饅頭。
もしかしたらここの人々には食べなれた物かもしれないけれど、気持ちなのだからかまわない。

 それから昴は約束どおり、飴細工の店で大河に飴を購入した。
職人が素早く、丁寧に形を整えて行く様を、彼は食い入るように見つめていた。
「わあー、立派な虎ですね!」
「素晴らしい出来栄えだな」
飴で出来た虎は今にも動き出しそうだ。
「もったいなくて食べられないですよ、こんなの」
「帰るまでは飾っておこう。腐ったりはしないから」
二人が賞賛を贈ると、飴細工屋の男性は満足げな笑顔を作る。
「お二人さんはどこから来たんだい?」
問いかけられて、大河は一瞬首をかしげた。
正直に答えていいのかと悩んだのだ。
思案している間に昴が答えた。
「長く海外にいたのでね。今日は久しぶりに日本を堪能しているよ」
「そうだったのかい。じっくり浅草を楽しんでいってくれな」
職人はそう言って、二人に金平糖の入った小袋をおまけに渡してくれた。
「カップルのお客さんにはこれをサービスしているんだ」
意味ありげにウインクをしながら差し出されたそれを、大河は真っ赤になって受け取った。

 紐育だったら、昴といてもすぐに男女の恋人同士と認識される事はない。
ひどい場合は昴の付き人と間違えられたりする。
「えへへ、もらっちゃいました」
嬉しそうな大河に、昴も微笑んだ。
「リカへおみやげにしようか」
「だ、だめですよ! これは大事に食べるんです!」
大河は真剣な表情で貰った金平糖を袂に隠してしまった。
「僕にも半分権利があるだろう? 帰りの船で食べようか」

 

 ゆっくりと砂利道を散策しながら歩く二人の姿は、どこから見ても生粋の日本人だった。
長い間海外で暮らしてきたとは思えない。
太陽が徐々に傾き始め、空が茜色に変わってくるまで、二人は散歩を楽しんだ。
寺の長い砂利道や、松の木の伸びる遊歩道。
和服を着ているせいで、紐育にいる時よりもずっと歩く速度がゆっくりだった。
そのせいか心も穏やかに変わって行く。

 帰り道も、やはり手を繋いで歩く。
買い物はひとつにまとめて大河がぶら下げて歩いた。
「夕焼けを見ると、日本なんだなあって感じがします」
「紐育の空にだって夕焼けはあるだろう?」
おかしそうに言われて、大河も困ったように頭を掻いた。
「そうですけど、紐育にいても夕焼けを見ると日本を思い出します」
「……帰りたくなる?」
あまり聞きたくなかったが聞かずにはいられない。
夕焼けには寂寥を催す何かがある。
「……少しだけ……」
「そうか……」

 昴は赤くなった空を見上げた。
自分の中にあったはずの、帰りたいという気持ちはいつからなくなってしまったのだろう。
そして、いつまた戻ってきたのだろう。
大河の元へ帰りたい。
どこにいても、どんなに離れていても。

 「ぼく、さっきお寺で、昴さんとずっと一緒にいられますように、って最後にお願いしました」
「大河……」
秘密だと言っていた願いを、大河は打ち明けた。
「でもちゃんと言わなきゃ、叶わないお願いですよね。神様なんかじゃなくて、昴さんに」
足を止め、昴の目をじっと見る。
「ぼく、ずっと昴さんといたいんです。それが紐育でも、日本でも」
真剣な眼差しを注がれて、昴は胸が熱くなった。

 彼はきっと、今自分がどんなに大変な事を言ったのか理解していない。
まるでプロポーズそのものだと昴は思った。
「君の望みはいつでも叶えられる。どんな事も。僕が保障するよ」
さっき、そう神に祈ったのだから。

 昴は心から幸せを噛み締めていた。
彼が望む限り、一緒にいよう。
それがたとえどんな場所でも。
顔をあげると、帝劇の堅牢な佇まいが見えてきていた。
「いつか……」
「え?」
「いつか、また帰ってこよう」
この街、この、国に。
「ぼく、昴さんと一緒なら、どこでもかまわないですよ」
「僕もどこだってかまわないさ。でも、ここが君の故郷だからね」
「昴さんの故郷でもありますよ!」
きっぱりと言われ、目をまたたく。
「……そうだな……。僕の故郷でもある」

 自分の姿を見下ろすと、蝶の小紋が美しく舞っていた。
隣にいる大河も、素晴らしく和服が似合っている。
自分たちは間違いなく日本人なのだ。
以前よりもそれが苦しくない。
次にここに戻って来る時も、きっとまた大河が一緒なのだろうから。
昴はその時の事を想った。
帝都の面々にも、もう一度会えるのだ。
不思議ととても嬉しかった。

 「友達もできたし、ね」
昴は大河の手を改めて握りなおし、満足そうに微笑んだ。 

 

帝都編、おしまいです。
帰るシーンとかは割愛です。
サニーが出てくるはずだったのですが、まるでいなかったかのように出てこなかった。
リクエストしてくださった鈴麻様、ありがとうございました。

TOP 漫画TOP

紐育ではゲイだと思われましたね(性別が謎なので間違っていないのかもしれませんが)

 

inserted by FC2 system