子犬のワルツ 2

 

 その夜、新次郎はベッドの中で、昼間出合った子犬の事を夢中で話した。
「あのわんわん。まっしろで、ゆきみたいでしたね」
「そうだね、新次郎は雪が好き?」
彼の出身である栃木にはどれぐらい雪が降っただろうか。
「ゆきもすきですけど、わんわんのほうがすき!」
そう言って、上半身を起こしてしまう。
昴は苦笑して彼を再び寝かせなければならなかった。
「あのわんわんのあし、ぶっとかった。おっきいわんこになるんですよ!」
「へえ、良く知っているね」
犬は足の太さで成長後の大きさがある程度予想できる。
あの子犬は体の割には足が太かった。
その事を新次郎は言っているのだろう。

 「しんじろーもわんわんがほしいな…あのおにいちゃん、いいなあ…」
子犬を抱いて去っていった少年を思い出したのだろう、
「犬を飼った事はない?」
聞くと、コクリと頷く。
「ありません…おとなりのくろと、いつもあそびます」
そして今度はその隣の犬の事を熱心に話す。
「くろは、くろってなまえなのに、しろいんですよ。へんなのー」
きゃははと笑って、布団にもぐる。
「しんじろーだったら…ももってなまえにします」
「もも?」
白い犬なら、シロなのではないかと昴は首をかしげた。
「おはなが、すっごくきれいなももいろです」
「そうか…じゃあ、今日の子犬はやっぱりクロかな」
あの子犬の鼻はくっきりと真っ黒だったから。
「あのこはゆきちゃんですよ」
新次郎は布団から顔を出してそう言った。
二度と会えないあの子犬に、勝手に名前をつけていたようだ。

 そんな風に話しているうちに、いつしか幼子の言葉が意味を成さなくなってくる。
規則的な寝息が聞こえてきたのを見計らって、昴は体を起こした。
昼間はまったく台本を読んでいなかったので、もう少し、覚えておきたかったのだ。

 

 

 翌朝は、二人とも朝食を食べずにホテルを出発した。
シアターでみんなと食べる事になっていたのだ。
買出しはサジータがしてくるはずだ。
馴染みのある建物が近づいてくると、新次郎は飛び跳ねるようにして駆け出す。
「あっ、こら、手を離してはダメだ」
目の前に目的地が見えているとはいえ、ここは交通量も多い。
シアターはV字型の交差点の真ん中にあり、
どうやっても道を横断しなければたどり着けない。
慌てて捕まえて抱き上げる。
「ねえねえ、すばるたん、あれ、なんですかね?」
抱き上げられても新次郎は不満を言わなかった。
昴の行動に慣れているのだ。
代わりにシアターの入り口に置かれた箱を指差す。
「さぁ…荷物なら中に置けばいいのに…物騒だな…」
昴は呟いて道を渡った。

 近づくと、それがフルーツを入れるための古い木箱だとわかる。
30cm四方ぐらいの、中型の箱だ。
少し離れた場所に新次郎を降ろして、その場に留まるように言った。
「えーなんでですか?」
今度こそ、新次郎は文句を言った。
小さな口を尖らせる。
「危ない物が入っていたら大変だろう?」
微笑を載せて昴は新次郎の頭を撫でた。
サニーサイドは少々危険な商売にも手を出しているので、ありえない話ではない。
箱に近づくと、そっと片手で触れる。
とたんに木箱が激しく揺れた。
「わっ」
少し離れたところで見守っていた新次郎が飛び上がった。
昴に駆け寄って足にしがみ付いてしまう。

 昴は苦笑した。
危険かもと離して置いたのに、これではまったく意味がない。
だがしかし、箱の中身は分かった。
「大丈夫だよ、新次郎、ほら、隙間から覗いてごらん」
昴の右足にしっかりとしがみついている彼にやさしく声をかけると、
新次郎は昴を箱を交互に見て、恐る恐るしゃがみこんだ。

 古い木箱には隙間が沢山あった。
その中でも、もっとも大きな割れ目から覗く。
とたんにもう一度箱が大きく揺れた。
だが、今度は新次郎は昴にしがみ付かなかった。
中から自分を覗き返す、まんまるの瞳が見えたからだ。
「わんわんだ!!」
新次郎は叫んで昴を見上げた。
「わんわんですよ!」
昴はその様子を微笑ましく見守り、続けて顎に手を当てて考え込んだ。
捨て犬だろうが、どうしてこんな所に。
しかし、いつまでもこのままにしておくわけにも行かない。
仕方がなく、昴はその木箱を抱え上げ、シアターのエントランスへと運んだ。

 「あけてあげないと、わんわんがくるしいですよ」
たしかに、その木箱は犬には少々窮屈に思えた。
箱に入っているから、犬の全体の大きさや姿はわからなかったが、
それでもその揺れ方から、窮屈そうにしている事が分かる。
上の蓋には開かないように釘が打たれていた。
「ちょっとまっていてね」
昴は大道具部屋へと駆ける。
あれを開けるバールのような物が必要だった。

 目当ての物を見つけて、エントランスへと戻りながら思案する。
あの子犬は、あきらかにシアターの人間に見つかるように置かれていた。
誰が拾ってもいいのなら、蓋を開けておいたほうがいい。
あれではシアターの人間しか気に留めない。

 玄関に戻ると、新次郎は昴を見上げて首をかしげた。
「ねえ、すばるたん、このわんわん、きのうのわんわんみたいですよ」
「まさか」
隙間から見えるのは、たしかに白い毛並みのようだったが、そんなはずはない。
あの子犬は少年に貰われていった。
そう思いながら、釘を抜いていく。
「ほら!やっぱりゆきちゃんですよ!」
新次郎は箱から飛び出してきた子犬を抱きしめた。
その様子を見て、昴は苦笑いをしながら深々と溜息を吐いた。

 

わんわん、もう名前もつけちゃってどうしましょう。

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