子犬のワルツ 1

 

 休日の公園はどこも楽しげな親子で溢れていた。
昴は新次郎を、普段行くセントラルパークではなく、
もっと子供が喜ぶような遊具が多数置いてある、小さな公園に連れて行った。

 「すばるたん!あれ、あれのりたい!」
新次郎が指を指したのはどこにでもあるブランコだった。
「そうか、見ていてあげるから乗っておいで」
繋いでいた手を離すと、新次郎は振り返らずにまっすぐにその遊具に向かって駆けていく。
「走ると危ないぞ!」
声をかけるととたんにスピードを落とすので、昴はおかしくなって笑った。

 ブランコにはすでに数名の子供が遊んでいたが、
新次郎はすぐに彼らと打ち解けてしまった。
大人相手だとあんなにも人見知りをしていたのに、
同年齢の子供相手だと遠慮をしなくていいせいか、普段よりもずっと積極的だった。
どうも新次郎は年齢の割りに分別がある代わりに、それが強すぎて消極的に見える場合がある。
昴は他の子供達と遊ぶ彼を見守りながらそう考えた。

 夢中で遊んでいる新次郎は昴を振り返らなかった。
シアターでは一緒に遊んでくれる同年代の子供がいない。
リカが年齢的には一番近かったが、それでもずっと年長だ。
ここに来て初めて大勢の子供達と遊べて、彼は本当に楽しそうだった。

 新次郎が振り返らなくとも、昴は一時も彼から目を離さなかった。
誘拐された時の事を、昴は忘れた事はない。
あの時の衝撃や絶望を、どんな理由であれ二度とは経験したくなかった。

 「あのぅ…もしかして…シアターの…」
遠慮がちに声をかけられて、昴は振り向いた。
「ああ!やっぱり昴さん!」
数名の若い母親達が華やいだ声を出す。
「どうも」
昴は短く返事をして視線を新次郎へと戻した。
今は金髪の少年が乗ったブランコを、背中から押してあげている。
「あの子、昴さんの…?」
母親の一人が興味深げに新次郎を見た。
その視線が気に食わなくて、昴は眉をひそめる。
「友人の子供だ」
その言葉を納得したのかどうか、母親達は白人の中に一人混じった日本人の子供を遠慮なく見つめ続けていた。

 もう帰ろうか…昴は考えた。
だが、当の新次郎はとても楽しそうに遊んでいて、今帰ろうと言ったらきっとガッカリするだろう。
自分さえしばらく我慢していればすむ。
「すばるたーん!」
新次郎は思い出したように昴に向かって手を振った。
「いまからしんじろーがのりますから、みててくださいねー!」
単純で安全な遊具のはずなのに、それに乗って勢い良く揺られる新次郎を見ると、思わずその揺れを止めたくなる。
背後で彼の乗ったブランコを、今度は代わって押してくれている金髪の少年が憎らしい。

 一通りブランコを楽しむと、新次郎は昴の元へと駆け戻ってきた。
「みててくれましたか?!」
「ああ、見ていたよ。すごく高くまで漕げるんだな」
頭を撫でてやると、新次郎は満足げに笑う。
「そろそろ帰るかい?」
一応聞くと、案の定、彼は驚いて昴を見上げた。
「え?!もう?!」
「まだいたい?」
「はい…」
甘えるように見上げられて昴は微笑んだ。
「ならもう少しいいよ。みんなと仲良く遊んでおいで」
「やったー!すばるたん、ありがとうございます!」
言うなり後ろを向いて駆け出そうとして、ピタリと止まった。
「あ、走っちゃダメだったんだ!」
早足で歩いて別の遊具へと向かう。

 公園には木々が茂った森のような箇所があった。
子供達が徐々にそこに近づいていくのが昴には気になっていた。
他の母親達を見ても、みな誰も彼らの事を気にしていない。
楽しげに自分達の輪の中で会話をしていて、己の子供の事などどうでもいいように見えた。
実際、子供達が勝手に遊んでくれていれば、彼女達は子育てから一瞬だけでも解放されて気が緩むのかもしれなかった。
だが、昴にはそんな余裕はない。
1度実際に新次郎を誘拐されてしまっていたから、たとえほんの少しの時間でも、目を離すことの恐ろしさを知っていた。

 いよいよ子供達が森の中に入っていきそうになって、昴は声をかけようと近づいた。
だがその時、昴に気がついた新次郎が自分から嬉しそうに駆け寄ってきてくれた。
「すばるたん!こっちきてー!」
「どうした?森に入ってはだめだ。見えなくなるから…」
「ちがうんです。わんわんですよ!」
「わんわん?」
新次郎は昴の手を必死で引っ張った。
「みてー」
背の低い彼に引かれ、昴が歩いて行くと、そこにはダンボールに入れられた真っ白な子犬が哀れっぽい声を出して鳴いていた。

 「捨て犬か…」
子供達は子犬をかわるがわる撫でている。
大人の登場に期待を込めて昴を見つめている。
「だめだよ…ぼくはホテルに住んでいるのだから…犬は飼えない」
子供達の視線の意味を察して昴は苦笑して言った。
「だめですか…すばるたん…」
新次郎は早くも泣きそうだ。
「うん。残念だけれど…」
彼を抱き上げ、慰めて、改めて昴はその子犬をしげしげと見た。

 今は赤いの髪の女の子に抱かれている子犬は、
真っ白ではあったが汚れていて、
全体的にうすぼけた灰色になってしまっている。
片耳が垂れていて、愛嬌のある顔立ちだったが、いかにも雑種と言った風情だ。
何事かと集まってきた母親達も、かわいいかわいいと感想は漏らす物の、
みな家はダメよ、と、自分の子供に言い聞かせている。

 「オレ、家に連れて帰ってみるよ」
新次郎のブランコを押してくれていた金髪の少年が、他の子供が抱いている子犬を取り上げた。
「連れて帰って大丈夫なのかい?」
昴が聞くと、活発そうなその男の子は歯を出して笑った。
日に焼けた肌に、ソバカスがいっぱい浮いていた。
おそらく毎日外で遊びまわっているのだろう。
「わかんねーけど、弟が犬を欲しがってたからさ」
その少年が子犬を抱えて歩き去っていくのを、他の子供達は羨ましそうに見守った。
親たちは問題が片付いて安堵の息を吐く。

 だが、昴はあの子犬と少年が心配だった。
あの子は公園に一人で来ていたのだ。
子供達は全員、ここにいる母親達の、誰かの子だと思っていた。
実際に他の子は、今は保護者に寄り添っている。
ベビーシッターもなく一人で公園に遊びに出すなどどうかしている。
そんな家庭にあの子が犬を連れて帰ったりして大丈夫なのだろうか。
「すばるたん、わんわん、よかったですね」
「…ん?ああ、そうだね…」
よかったといいつつ、残念そうな新次郎の頭を撫でる。
どちらにしても昴にはどうする事もできない。
なんとなく後ろめたい気分を引き摺って、昴は新次郎を抱いて公園を後にした。

 

ホテルによっては犬、飼えるのかしら。
NYとかって犬同伴ありっぽいじゃないですか。

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